引責辞任について~責任と償いは別
引責辞任をするな
【引責】
責任を自分の身に引き受けること。責任をとること。
【責任】は、2つの意味がある。まず、
(1)自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。 「―を果たす」「保護者としての―」
う~ん、なんかこの意味の「引責」って、「巨大な巨人」みたいに無意味な同義反復語になってないか?
まぁ、その辺のおかしな言い回しは置いておいても、社長が引き受けた任務・義務は仕事を辞める事ではないから、責任を引き受ける(=引責)ことで辞任ということはありえない。
「職業は職業を辞めることです」は、明らかにおかしな表現で、引責をするならば、むしろ辞めないことが正しいんじゃなかろうか?
結局、引責という時の責任とは
(2)自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。
なんだろう。これなら、引責=責任を負う=償いを行うだから、辞職というのもよくわかる。
このように、日本語の責任には、償いと責任(responsibility)がごっちゃになっているんで、
「責任はどうとるつもりですか?」
「この不祥事の原因を突き止めるのが責任だと思っています」
「それで責任を取れると思っているんですか?」
「全身全霊を挙げて取り組む所存です」
「責任を取るためには辞職するべきでしょう」
「それはトップとして、無責任だと思います」
・・・
と噛み合わない話が行き交うわけで、
じゃぁ、どう言えばいいのかというと、
「責任をもって、不祥事の再発を防止します。お詫びの気持ちとして給与カットします。」と、責任の意味を明確に分けて表現するべきなのであって、
どうしても辞職したい、もしくは辞職せざるを得ない状況にあるという時は、
「社長として無責任ではありますが、お詫びのため辞職したいとおもいます。」と言えばOKなわけだ。
「責任」という言葉に異なる概念が入っているので、それを意識した発言をしないと、本気で責任を取ろうとしているにもかかわらず、無責任に徹しているように思われてしまうという洒落にもならないことになる。
で、結論は、
引責という言葉で辞任を表現するのはやめよう!
とりあえず、報道のプロは引責辞任なんていう紛らわしい言葉は使うなと言いたい。
"responsibility" は
自分が引き受けたり与えられたりした仕事や義務を遂行する責任
う~ん、これまた"responsibility(遂行しなきゃいけない事象)"を、さらにtakeとは、おかしな表現じゃないか?日本人が直訳しただけで、ネイティブは使わない表現なんじゃないの?
鎮魂の文化~もう一つの責任
日本社会では、トップの任務・義務を「本人の行為とは関係なく結果を包括的に受け入れ、適切な対応を行うこと」とする傾向があるように思う。 ここで思い出されるのが、大昔の持衰(じさい)である。持衰は、航海の際に船に同乗し、航海が無事に終われば敬われるが、病気や悪天候などの困難が起これば殺されるという、完全な結果責任を負う存在であった。 持衰は、(理由が何であれ)とにかく八百万の神々がお怒りになっている時に
生贄になってたたりを鎮める
ということが存在意義だから、例えば病気(神の怒り)があらわれた時に、医学の知識があったとしても殺される。周囲は生贄を望んでいるのであって、誰も持衰の行為を期待していないからである。
引責辞任という事象にも、この祟りを鎮めるという側面がかいま見られる。不祥事などで組織に大きな問題(祟り)がおきた場合に求められるのは、再発防止に向けた優れた手腕などではなく、辞任―場合によっては、私有財産の提供や、個人としての謝罪なども含む―という生贄なのである。
ちなみに鎮魂は、できるだけ価値の高いものが生贄になった方が効果が高いと考えられている。
だとすると、企業の顔であり、高額な報酬を得ているトップは生贄に最適の存在であって、逆に、給与やステータス自体、いざという時の生贄にするための準備だという考え方もできる。
この考えからは、「辞職はしないが、報酬は返上する」というのは、肥え太らせた家畜が祭壇に連れて行かれることを知って慌てて絶食をするようなもので論外な話である。生贄にするためにしっかり肥らせた(普段の待遇)のに、今さら痩せる(報酬返上)とは責任放棄だ!というわけだ。いくら報酬をカットしようと、場合によっては全額返上しようと関係なく、トップは責任をしっかり果たしたつもりが、180度反対の評価を受けることになる。
鎮魂的責任観からは、
トップは職務責任を取るべきではない。そんなことはしなくていいから、とっとと生贄になるべきなのである。
また、給与やステータスを職務の対価と捉えるべきではない。それは紙銭であり、お供えものにすぎないのだから。
ただ粛々と辞任し、鎮魂に努めなければいけないのである。

